メキシコで「ウラマ」と呼ばれたメソアメリカの球技には長い歴史がある。今から数千年前、オルメカ文明によって考案されたらしいが、西暦0年から1000年の間に普及し、発祥の地であるメソアメリカを越えて北米やカリブ海地域にも広がっていった。そのマヤ版は、手を使わずにゴムのボールを石の輪を通すというものだった (これは地底を通る太陽を表しているものと考えられている)。戦争捕虜がやらされることも多く、負けた側は神々への生贄にされることもあった。チチェン・イツァの球技場の壁には、そうした生贄が捧げられる様子がはっきりと描かれている。
プエルトルコのカグアナで行われていたバテイは、それに比べるとよっぽど穏やかだ。バテイはいびつな長方形をした平らな競技場で行われ、マヤの球技場に見られる石の輪は存在しない。ルールもおそらく違っていて、こちらはチーム同士でボールを投げ合うというものだったようだ。とはいえ、球技場と宗教はやはり無関係ではない。カグアナのバテイ場には岩面彫刻が施されており、立地もタイノ族の宗教的中心だったプエルトリコの山麓に集中している。
「バテイ」というタイノ語は、植民地時代以降ひどい扱いを受けている。もともとは「球技場」を意味していたが、今は砂糖のプランテーションで働く労働者向けの仮設住宅を指す言葉として使われているのだ。ここでいう「労働者」は、植民地時代にプランテーションで使役された奴隷と、意に反する労働を強いられている現代の労働者の両方を指している。球技場を意味していたタイノ語が、いったいどういう曲折を経てここまで違う意味になったのかはわからない。本作に登場するのは、本来の意味の「バテイ」だ。