第二次世界大戦の開戦からまもなく明らかになったのは、アメリカの戦闘機の性能は完全に時代遅れであり、ドイツや日本の戦闘機に対抗できる水準にはないということだった。そこでアメリカは古い航空機をイギリスとソ連に売却し、新たにP-51マスタングを開発することを決定する。イギリス航空機購入委員会が示した仕様に従って設計された、優れた航続能力と高高度性能を有し、戦闘機としても戦闘爆撃機としても使用可能で、爆撃機の護衛も務められる単座機――高度4,600m以上の高空でドイツ空軍の戦闘機を凌駕する性能を発揮し、航続距離で日本軍の戦闘機を上回る――のプロトタイプが完成したのは、1940年9月のことである。その後量産されたP-51は、1943年にはアメリカ軍の全戦線に配備されるに至り、数多くの敵機を葬り去った。1950年に勃発した朝鮮戦争においても、すでにジェット戦闘機が登場していた当時にあっては旧式化は否めなかったものの、戦闘爆撃機として実戦に投入されている。より後の時代になると、解体を免れたP-51は余剰機体として売却され、その多くは改造されてエアレーシングに使われたり、航空ショーのためにレストアされるなどして、陰ながら活躍しつづけた。