コンセプト
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ユニット
ユニットのレベルアップ
偉人
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社会制度
政府と政策
宗教
地形と特徴
資源
施設と道路
テオドラ
固有能力

メタノイア

聖地が隣接ボーナスに等しい 文化力をもたらす。農場がヒッポドロームと聖地に 信仰力の隣接ボーナスをもたらす。

概要
テオドラ皇后が、慎ましい始まりからやがて大きく飛躍するためには、 信仰力と宗教の両方に同じくらい力を注ぐことが必要です。
詳細説明
テオドラが最優先すべきは聖地と「占星術」です。聖地の創造とビザンティンの追加の 大預言者ポイントにより、テオドラは圧倒的な宗教戦闘力を持つ宗教を得られます。「メタノイア」能力はテオドラの 信仰力を増やし、宗教による勝利を目指す助けとなります。また、固有区域であるヒッポドロームは民を喜ばせるのに効果的です。
歴史的背景
女優であった (そして売春宿で働いていたこともあった) テオドラ (500年頃-548年) だが、やがて夫であるビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世に対して大きな影響力を持つようになる。帝国のあちこちが瓦解しつつあった時代に、彼女は後の正教会の基礎を固め、ビザンティンの土台を立て直した。

最初の千年紀の前半は、ビサンティンにとって苦難の時代だった。西方は何百もの小王国に分裂し、東方は豊かだが潜在的な敵であふれ、北方にはいつ牙を剥くかわからない蛮族がひしめいていた。コンスタンティノープルが前進するには先を見通す力が必要だった。そしてユスティニアヌス1世 (在位527~565年) にはそれがあった。

東ローマ帝国は複数の面で分裂していた。言語的にはギリシャ語とラテン語に、宗教的にはキリスト教のカルケドン派と合性論派に、さらに都市でも地方でもさまざまな階級に分かれていたのだ。そんななか、ユスティニアヌス1世はいわゆる「帝国の再建」に乗り出し、あらゆる方面の敵、つまり西ローマ帝国を解体していた者たちに対し、領土の拡大を含む再征服と団結のための戦いを繰り広げた。とりわけ注目すべきは、これがイタリアとスペイン、北アフリカの蛮族の国であるヴァンダル王国の再征服を意味していたことである。その一方で、内政では現代まで残る法典を編纂し、(西方の再征服で得た富を使って) 都にハギア・ソフィア聖堂などの壮麗な建築物を築いた。

テオドラはギリシャ人で、コンスタンティノープルに住む熊の調教師の娘だった。史料によると、彼女は売春宿で女優として働き、上品とは言いがたい見せ物に出演していた。また、戦車競走の「青」組応援団の踊り子たちとも親しかったという。「青」組というのは戦車競走のチームで、踊り子たちは今でいうチアリーダーだった。ちょうどそんなときにテオドラはユスティニアヌスに見染められる。高貴な者は女優と結婚できないという法律をわざわざ変えてまで、皇帝は彼女を娶った。

彼女にとって最初の試練は、戦車競走のチームである「青」と「緑」をそれぞれ応援する者たちのいさかいが原因で発生し、危うくコンスタンティノープルを滅ぼしかけたニカの乱だった。暴動によって都が無政府状態に陥るなか、ユスティニアヌス1世と重臣たちが市外へ脱出する準備をしていると、テオドラは彼に皇帝としての自覚を促すため、「帝衣こそ最高の死装束ではありませんか」と言った。詩的な言い回しをしてはいるが、要するに逃げ出すのは死ぬよりみっともないという意味だ。

説得が功を奏し、ユスティニアヌス1世は暴動を鎮圧し、皇帝としての権力を取り戻した。それ以来、テオドラは常に皇帝に付き添い、その影響力は婚姻法の改正、自分と似た境遇に生まれた若い女性や少女に対する慈善活動、さらには宮廷での絶え間ない陰謀にまで及んだ。

宗教的にはテオドラは夫と対立し、キリスト教の合性論派が積極的に抑圧されているなかでそれを支持していた。この2つの教派の違いは現代人にはピンとこないが、500年代には生死を分けるほどの重大事だった。簡単に言えば、カルケドン公会議で司祭たちはイエスは人性と神性を別に持つ一人の人間だったと宣言したが、合性論派は完全な人性でもあり完全な神性でもあった一つの本性を有していたのだと考えていたのだ。現在では、合性論派の思想はエチオピアのキリスト教の中核をなし、カルケドン派の思想はカトリック (およびプロテスタント) と東方正教 (ギリシャおよびロシア) に影響を及ぼしている。

おそらく48歳でこの世を去るまでテオドラはこの多宗教多民族 (ユスティニアヌスはラテン語を話し、テオドラはギリシャ人だった) の国の維持に尽力し、収拾不能な状況に陥りかけてたときも諦めることなく守り抜いた。ある意味で彼女が守ったのは、多様性を失わせ、視野を狭める古い秩序だった。そのため、やがてビザンティンを蝕む勢力が徐々に台頭してくると、バシレイオス2世がしたような、より断固とした対処が必要となった。
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玉座は高貴な墓となるでしょう。

特性

文明

設定

アジェンダ
ノウァ・ローマ
文化力を高めることを重視する。また、自分と同じように 文化力の強化に注力する文明を好む。
宗教
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玉座は高貴な墓となるでしょう。

特性

文明

設定

アジェンダ
ノウァ・ローマ
文化力を高めることを重視する。また、自分と同じように 文化力の強化に注力する文明を好む。
宗教
固有能力

メタノイア

聖地が隣接ボーナスに等しい 文化力をもたらす。農場がヒッポドロームと聖地に 信仰力の隣接ボーナスをもたらす。

概要
テオドラ皇后が、慎ましい始まりからやがて大きく飛躍するためには、 信仰力と宗教の両方に同じくらい力を注ぐことが必要です。
詳細説明
テオドラが最優先すべきは聖地と「占星術」です。聖地の創造とビザンティンの追加の 大預言者ポイントにより、テオドラは圧倒的な宗教戦闘力を持つ宗教を得られます。「メタノイア」能力はテオドラの 信仰力を増やし、宗教による勝利を目指す助けとなります。また、固有区域であるヒッポドロームは民を喜ばせるのに効果的です。
歴史的背景
女優であった (そして売春宿で働いていたこともあった) テオドラ (500年頃-548年) だが、やがて夫であるビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世に対して大きな影響力を持つようになる。帝国のあちこちが瓦解しつつあった時代に、彼女は後の正教会の基礎を固め、ビザンティンの土台を立て直した。

最初の千年紀の前半は、ビサンティンにとって苦難の時代だった。西方は何百もの小王国に分裂し、東方は豊かだが潜在的な敵であふれ、北方にはいつ牙を剥くかわからない蛮族がひしめいていた。コンスタンティノープルが前進するには先を見通す力が必要だった。そしてユスティニアヌス1世 (在位527~565年) にはそれがあった。

東ローマ帝国は複数の面で分裂していた。言語的にはギリシャ語とラテン語に、宗教的にはキリスト教のカルケドン派と合性論派に、さらに都市でも地方でもさまざまな階級に分かれていたのだ。そんななか、ユスティニアヌス1世はいわゆる「帝国の再建」に乗り出し、あらゆる方面の敵、つまり西ローマ帝国を解体していた者たちに対し、領土の拡大を含む再征服と団結のための戦いを繰り広げた。とりわけ注目すべきは、これがイタリアとスペイン、北アフリカの蛮族の国であるヴァンダル王国の再征服を意味していたことである。その一方で、内政では現代まで残る法典を編纂し、(西方の再征服で得た富を使って) 都にハギア・ソフィア聖堂などの壮麗な建築物を築いた。

テオドラはギリシャ人で、コンスタンティノープルに住む熊の調教師の娘だった。史料によると、彼女は売春宿で女優として働き、上品とは言いがたい見せ物に出演していた。また、戦車競走の「青」組応援団の踊り子たちとも親しかったという。「青」組というのは戦車競走のチームで、踊り子たちは今でいうチアリーダーだった。ちょうどそんなときにテオドラはユスティニアヌスに見染められる。高貴な者は女優と結婚できないという法律をわざわざ変えてまで、皇帝は彼女を娶った。

彼女にとって最初の試練は、戦車競走のチームである「青」と「緑」をそれぞれ応援する者たちのいさかいが原因で発生し、危うくコンスタンティノープルを滅ぼしかけたニカの乱だった。暴動によって都が無政府状態に陥るなか、ユスティニアヌス1世と重臣たちが市外へ脱出する準備をしていると、テオドラは彼に皇帝としての自覚を促すため、「帝衣こそ最高の死装束ではありませんか」と言った。詩的な言い回しをしてはいるが、要するに逃げ出すのは死ぬよりみっともないという意味だ。

説得が功を奏し、ユスティニアヌス1世は暴動を鎮圧し、皇帝としての権力を取り戻した。それ以来、テオドラは常に皇帝に付き添い、その影響力は婚姻法の改正、自分と似た境遇に生まれた若い女性や少女に対する慈善活動、さらには宮廷での絶え間ない陰謀にまで及んだ。

宗教的にはテオドラは夫と対立し、キリスト教の合性論派が積極的に抑圧されているなかでそれを支持していた。この2つの教派の違いは現代人にはピンとこないが、500年代には生死を分けるほどの重大事だった。簡単に言えば、カルケドン公会議で司祭たちはイエスは人性と神性を別に持つ一人の人間だったと宣言したが、合性論派は完全な人性でもあり完全な神性でもあった一つの本性を有していたのだと考えていたのだ。現在では、合性論派の思想はエチオピアのキリスト教の中核をなし、カルケドン派の思想はカトリック (およびプロテスタント) と東方正教 (ギリシャおよびロシア) に影響を及ぼしている。

おそらく48歳でこの世を去るまでテオドラはこの多宗教多民族 (ユスティニアヌスはラテン語を話し、テオドラはギリシャ人だった) の国の維持に尽力し、収拾不能な状況に陥りかけてたときも諦めることなく守り抜いた。ある意味で彼女が守ったのは、多様性を失わせ、視野を狭める古い秩序だった。そのため、やがてビザンティンを蝕む勢力が徐々に台頭してくると、バシレイオス2世がしたような、より断固とした対処が必要となった。
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